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​Activity in Nepal

3年前の在学中、アジアの最貧国ネパールへ 

ネパールを知り、出会い、心があたたかくなり豊かになりました。

だから、みなさんにネパールの人々の心をお届けしたいです

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アジアの最貧国に行く管理栄養士の卵として何とか支援してあげなきゃと思っていました。でも、反対に彼らからもらうものの方が大きかったのです。ありがとうネパール。

ネパールにいく前、言語の違う環境でのコミュニケーションに戸惑い、最初は苦しかったけれども、ネパールの村の人になり、言葉が通じなくても、目や表情でつながる心や、私たちが忘れがちである人間本来の心のつながりを学びました。顔を見るだけで自然と笑顔になってしまう。嬉しくて泣いてしまう経験を多くしました。日本で暮らしていて、人間関係や私生活の悩みで心のそこから笑うことができなかった私ですが、ネパールのあたたかい人の心に触れ、本来の心を教えてもらいました。

 

でも、ネパールで改善していかないといけない問題もあります。例えば、子供達が身分のせいで夢を叶えることができない、女性の身分が低く、子供なのに結婚させられてしまったり、教育を受ける機会がない。一番問題なのは、子供が学校に行くことに興味関心がない。そもそも親が子供に学校に行って欲しいと思っていない。親は、子供に家の仕事を手伝わせたらいいと思っているのです。親の育ち方が子供のロールモデルとなるので、情報格差となり、貧困の連鎖が起こっていく。。。このような生まれた環境で人生が決まってしまうのは残念なことです。なので、このような問題を解決できるような、お金を得るためのシステムや、親への教育プログラム、奨学金制度などを作っていきたいです。

彼らのためにたくさんのサポートが必要ですが、反対に彼らから学ぶこともたくさんあります。なので私たち、そしてネパールの方々の心をシェアしあい、互いに成長しあえる仕組みを作っていきたいです。

 

ネパールの村の子ども達にお味噌汁を作る!

ネパールで国境なき医師団として活動する楢戸健二郎医師と出会い、3年前の秋、大学を休学し村で2ヶ月間医療支援活動に励みました。

不安定な食環境に課題を持ち、アジアの最貧国ネパールから食の活動をしていくことに決めました。

2019年6月Shine-Hoshimi-International スクールを設立し、現地の技術者の育成活動も行っております。

 

ネパールの学校や孤児院で必ず作るものが、「お味噌汁」です。

白味噌、赤味噌、昆布、鰹節。。日本の調味料をたくさんもっていきます。

ネパールでは十分に野菜を食べる習慣がないので、ビタミンやミネラルなどの微量栄養素を摂取する機会が少ないです。

なので、野菜や発酵食品、スパイスを組み合わせた健康食を食べる習慣をつけてもらい健康的に生きてほしいなと思います。

 

一番最初に、野菜のお味噌汁を食べてもらった時、日本のうま味を知らない子供たちは、微妙な顔をしたり、

鼻をつまんで野菜を食べていましたが、お腹をすかせているので、みんな何杯もおかわりしました。

何回も作るうちに味噌の味を変えたり、ブレンドしてみたり、スパイスを味噌に混ぜたりしながら、

みんなの好みに合うように作ってきました。

 

今となっては、うま味にも慣れてきて、「シスター!(姉さん)ミトチャ!(おいしい!)おかわりちょうだい」と

言ってくれるようになりました。まずはネパールから!そして世界へ。

元気に健康で生きる子供たちを増やせるよう栄養をチャージしていきたいと思います。

ネパールからの日本​。日本からみるネパール。

先進国と発展途上国、私のもとには、貧困で学校にいけない、食べ物を買うお金がないから少し支援してくれないかと多く問い合わせがあります。現地でも苦しむ現状を見ます。私だけの力じゃ足りない。多くの方にこの状況を伝えなければならない。その現状を変えようと思ったときに、「途上国が問題なのか、この現状を引き起こしているのは先進国ではないのかな」と思うことがあります。

たとえば先進国が経済の発展のために安さを追求しすぎて、労働力を安く抑えられる途上国の人を雇い、知識やスキルを与えるわけでもなく、その人の人生を考えるわけでもなく、まるで「もの」のように扱っていることも多い。それでは途上国の彼らも生活が厳しく成り立たないとわかっていながらも、安い賃金で労働を強いてしまう。私が活動している村の方々にインタビューをした。村のいいところはなんですか?! みな、「自然もいいが、家族、村の人が支え合うこの場所が大好きだと。村でずっと暮らしていきたいが、仕事がない、だから隣国に出稼ぎに行くが、危険な環境と低い賃金で、大変な状況になることもあるという。亡くなって帰ってくるケースも・・故郷で家族を守りながら生活していきたいが、それを実現できない現実がある」


変わらなければいけない世界は、途上国ではなくて、私たち先進国なのかもしれない。どれだけ先進国は途上国からの恩恵を得て、いまの豊かな生活ができているかを知るべきだと思います。いまの世界の問題に対して「無関心」である多くの方々がもっと発展途上国のことを考えるべきではないのでしょうか


これからは、途上国と先進国が別々で生き抜いていく時代ではないんです。今、ウイルスがだんだん進行してきて、発展途上国にお世話になっていた会社は、運営がストップしています。お互いにできるとからはじめ、支え合っていけるような世界を作っていけたらいいと思います。途上国からもらい過ぎている恩恵を、先進国である私たちが少しずつ返していくことで、少しずつ世界がいい方向に変わっていくと思うのです。

筋田雅則さんとの出会い

ネパールで活動する中で、出会った筋田さん。こんなところに日本人!に出演していたり、岐阜ネパール人会を立ち上げ、10年間ずっと村の方々へ支援活動を続けてきました。

​ネパールのカトマンズの首都、カトマンズに「銀杏旅館」を村の子供達と設立します。その旅館には、日本について学ぶことのできるシステムが備わっていたり、現地の方々が活躍できるためのコミュニティの場所です。筋田さんはネパールの方々のために生涯をそそいできましたが、昨年の4月にお亡くなりになりました。自分が病気でどんなに辛い時も、困っている人たちのために尽くす筋田さんの背中を見てきて、私自身、とても筋田さんを尊敬しておりました。

                    

 

筋田さんの言葉

「ネパールの村の方々に仕事がないから、仕事ができるような機会を作ってあげてくれ、

貧困のため学校にいけず困っている子供達もたくさんいるから、しっかリトお金が回る制度を作ってやってくれ」

私は、できる限り、筋田さんの意を受け継いでいきたいと思います。

ネパールの首都であるカトマンズから

車で約4時間離れたところにあるラムチェ村

 

私たちにとって当たり前の存在だった給食ですが、280名の子供たちが通う

ラムチェ小学校給食があるのは小学3年生まで(豆の炒め物だけ)

 

子供達のお昼ご飯は1食20円。お腹いっぱいになるはずのない内容でも、

あどけない笑顔で夢を持ち勉強に励む子供達に出会いました。

 

私は、まず給食でネパールの子供達の夢を応援することを決意しました。村には家畜の世話、農業、子守をする子供の姿が目立ちます。

まだ5,6歳の子供たちが山のふもとから水をくんだり、家畜の世話、農業が忙しく学校にいけない子供たちが多くいます。

 

子供たちが学校に行きたくてもその親たちは、なぜ学校に行く必要があるのかと学校に行かなくて良いと考える親が多くいます。

 

学校に行かない子供たちを減らすために、まず給食を提供し、心とからだが満たされた状態で勉強できる環境を作りたいです。

ラムチェファクトリーを作ろう!

寄付も、もちろん大切ですが、持続して村が発展していく仕組みを作っていくために

ねらい

・村の方々の就業の機会を作る

・利益は、貧困のため学校にいけない村の子供達へ

方法

・鳥や山羊を飼育

・オーガニックコーヒーやオーガニックスパイスを栽培

・女性たちへの裁縫スキルトレーニング →子供達や若者も参加する

→カトマンズや先進国で販売していく 利益をラムチェ村へ

このモデルを作ることで、危険な場所に出稼ぎに行く必要がなくなると思います。

これから、村の方々と頑張る様子をSNSやYoutube を通して発信していきたいと思います。

応援宜しくお願い致します!!

​管理栄養士/食育料理研究家   坂本 星美

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アジアの最貧国に行く管理栄養士の卵として何とか支援してあげなきゃと思っていました。でも、反対に彼らからもらうものの方が大きかったのです。ありがとうネパール。

ネパールにいく前、言語の違う環境でのコミュニケーションに戸惑い、最初は苦しかったけれども、ネパールの村の人になり、言葉が通じなくても、目や表情でつながる心や、私たちが忘れがちである人間本来の心のつながりを学びました。顔を見るだけで自然と笑顔になってしまう。嬉しくて泣いてしまう経験を多くしました。日本で暮らしていて、人間関係や私生活の悩みで心のそこから笑うことができなかった私ですが、ネパールのあたたかい人の心に触れ、本来の心を教えてもらいました。

 

でも、ネパールで改善していかないといけない問題もあります。例えば、子供達が身分のせいで夢を叶えることができない、女性の身分が低く、子供なのに結婚させられてしまったり、教育を受ける機会がない。一番問題なのは、子供が学校に行くことに興味関心がない。そもそも親が子供に学校に行って欲しいと思っていない。親は、子供に家の仕事を手伝わせたらいいと思っているのです。親の育ち方が子供のロールモデルとなるので、情報格差となり、貧困の連鎖が起こっていく。。。このような生まれた環境で人生が決まってしまうのは残念なことです。なので、このような問題を解決できるような、お金を得るためのシステムや、親への教育プログラム、奨学金制度などを作っていきたいです。

彼らのためにたくさんのサポートが必要ですが、反対に彼らから学ぶこともたくさんあります。なので私たち、そしてネパールの方々の心をシェアしあい、互いに成長しあえる仕組みを作っていきたいです。

 

ネパールの村の子ども達にお味噌汁を作る!

ネパールで国境なき医師団として活動する楢戸健二郎医師と出会い、3年前の秋、大学を休学し村で2ヶ月間医療支援活動に励みました。

不安定な食環境に課題を持ち、アジアの最貧国ネパールから食の活動をしていくことに決めました。

2019年6月Shine-Hoshimi-International スクールを設立し、現地の技術者の育成活動も行っております。

 

ネパールの学校や孤児院で必ず作るものが、「お味噌汁」です。

白味噌、赤味噌、昆布、鰹節。。日本の調味料をたくさんもっていきます。

ネパールでは十分に野菜を食べる習慣がないので、ビタミンやミネラルなどの微量栄養素を摂取する機会が少ないです。

なので、野菜や発酵食品、スパイスを組み合わせた健康食を食べる習慣をつけてもらい健康的に生きてほしいなと思います。

 

一番最初に、野菜のお味噌汁を食べてもらった時、日本のうま味を知らない子供たちは、微妙な顔をしたり、

鼻をつまんで野菜を食べていましたが、お腹をすかせているので、みんな何杯もおかわりしました。

何回も作るうちに味噌の味を変えたり、ブレンドしてみたり、スパイスを味噌に混ぜたりしながら、

みんなの好みに合うように作ってきました。

 

今となっては、うま味にも慣れてきて、「シスター!(姉さん)ミトチャ!(おいしい!)おかわりちょうだい」と

言ってくれるようになりました。まずはネパールから!そして世界へ。

元気に健康で生きる子供たちを増やせるよう栄養をチャージしていきたいと思います。

ネパールからの日本​。日本からみるネパール。

先進国と発展途上国、私のもとには、貧困で学校にいけない、食べ物を買うお金がないから少し支援してくれないかと多く問い合わせがあります。現地でも苦しむ現状を見ます。私だけの力じゃ足りない。多くの方にこの状況を伝えなければならない。その現状を変えようと思ったときに、「途上国が問題なのか、この現状を引き起こしているのは先進国ではないのかな」と思うことがあります。

たとえば先進国が経済の発展のために安さを追求しすぎて、労働力を安く抑えられる途上国の人を雇い、知識やスキルを与えるわけでもなく、その人の人生を考えるわけでもなく、まるで「もの」のように扱っていることも多い。それでは途上国の彼らも生活が厳しく成り立たないとわかっていながらも、安い賃金で労働を強いてしまう。私が活動している村の方々にインタビューをした。村のいいところはなんですか?! みな、「自然もいいが、家族、村の人が支え合うこの場所が大好きだと。村でずっと暮らしていきたいが、仕事がない、だから隣国に出稼ぎに行くが、危険な環境と低い賃金で、大変な状況になることもあるという。亡くなって帰ってくるケースも・・故郷で家族を守りながら生活していきたいが、それを実現できない現実がある」


変わらなければいけない世界は、途上国ではなくて、私たち先進国なのかもしれない。どれだけ先進国は途上国からの恩恵を得て、いまの豊かな生活ができているかを知るべきだと思います。いまの世界の問題に対して「無関心」である多くの方々がもっと発展途上国のことを考えるべきではないのでしょうか


これからは、途上国と先進国が別々で生き抜いていく時代ではないんです。今、ウイルスがだんだん進行してきて、発展途上国にお世話になっていた会社は、運営がストップしています。お互いにできるとからはじめ、支え合っていけるような世界を作っていけたらいいと思います。途上国からもらい過ぎている恩恵を、先進国である私たちが少しずつ返していくことで、少しずつ世界がいい方向に変わっていくと思うのです。

筋田雅則さんとの出会い

ネパールで活動する中で、出会った筋田さん。こんなところに日本人!に出演していたり、岐阜ネパール人会を立ち上げ、10年間ずっと村の方々へ支援活動を続けてきました。

​ネパールのカトマンズの首都、カトマンズに「銀杏旅館」を村の子供達と設立します。その旅館には、日本について学ぶことのできるシステムが備わっていたり、現地の方々が活躍できるためのコミュニティの場所です。筋田さんはネパールの方々のために生涯をそそいできましたが、昨年の4月にお亡くなりになりました。自分が病気でどんなに辛い時も、困っている人たちのために尽くす筋田さんの背中を見てきて、私自身、とても筋田さんを尊敬しておりました。

                    

 

筋田さんの言葉

「ネパールの村の方々に仕事がないから、仕事ができるような機会を作ってあげてくれ、

貧困のため学校にいけず困っている子供達もたくさんいるから、しっかリトお金が回る制度を作ってやってくれ」

私は、できる限り、筋田さんの意を受け継いでいきたいと思います。

ネパールの首都であるカトマンズから

車で約4時間離れたところにあるラムチェ村

 

私たちにとって当たり前の存在だった給食ですが、280名の子供たちが通う

ラムチェ小学校給食があるのは小学3年生まで(豆の炒め物だけ)

 

子供達のお昼ご飯は1食20円。お腹いっぱいになるはずのない内容でも、

あどけない笑顔で夢を持ち勉強に励む子供達に出会いました。

 

私は、まず給食でネパールの子供達の夢を応援することを決意しました。村には家畜の世話、農業、子守をする子供の姿が目立ちます。

まだ5,6歳の子供たちが山のふもとから水をくんだり、家畜の世話、農業が忙しく学校にいけない子供たちが多くいます。

 

子供たちが学校に行きたくてもその親たちは、なぜ学校に行く必要があるのかと学校に行かなくて良いと考える親が多くいます。

 

学校に行かない子供たちを減らすために、まず給食を提供し、心とからだが満たされた状態で勉強できる環境を作りたいです。

ラムチェファクトリーを作ろう!

寄付も、もちろん大切ですが、持続して村が発展していく仕組みを作っていくために

ねらい

・村の方々の就業の機会を作る

・利益は、貧困のため学校にいけない村の子供達へ

方法

・鳥や山羊を飼育

・オーガニックコーヒーやオーガニックスパイスを栽培

・女性たちへの裁縫スキルトレーニング →子供達や若者も参加する

→カトマンズや先進国で販売していく 利益をラムチェ村へ

このモデルを作ることで、危険な場所に出稼ぎに行く必要がなくなると思います。

これから、村の方々と頑張る様子をSNSやYoutube を通して発信していきたいと思います。

応援宜しくお願い致します!!

​坂本 星美

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アジアの最貧国に行く管理栄養士の卵として何とか支援してあげなきゃと思っていました。でも、反対に彼らからもらうものの方が大きかったのです。ありがとうネパール。

ネパールにいく前、言語の違う環境でのコミュニケーションに戸惑い、最初は苦しかったけれども、ネパールの村の人になり、言葉が通じなくても、目や表情でつながる心や、私たちが忘れがちである人間本来の心のつながりを学びました。顔を見るだけで自然と笑顔になってしまう。嬉しくて泣いてしまう経験を多くしました。日本で暮らしていて、人間関係や私生活の悩みで心のそこから笑うことができなかった私ですが、ネパールのあたたかい人の心に触れ、本来の心を教えてもらいました。

 

でも、ネパールで改善していかないといけない問題もあります。例えば、子供達が身分のせいで夢を叶えることができない、女性の身分が低く、子供なのに結婚させられてしまったり、教育を受ける機会がない。一番問題なのは、子供が学校に行くことに興味関心がない。そもそも親が子供に学校に行って欲しいと思っていない。親は、子供に家の仕事を手伝わせたらいいと思っているのです。親の育ち方が子供のロールモデルとなるので、情報格差となり、貧困の連鎖が起こっていく。。。このような生まれた環境で人生が決まってしまうのは残念なことです。なので、このような問題を解決できるような、お金を得るためのシステムや、親への教育プログラム、奨学金制度などを作っていきたいです。

彼らのためにたくさんのサポートが必要ですが、反対に彼らから学ぶこともたくさんあります。なので私たち、そしてネパールの方々の心をシェアしあい、互いに成長しあえる仕組みを作っていきたいです。

 

ネパールの村の子ども達にお味噌汁を作る!

ネパールで国境なき医師団として活動する楢戸健二郎医師と出会い、3年前の秋、大学を休学し村で2ヶ月間医療支援活動に励みました。

不安定な食環境に課題を持ち、アジアの最貧国ネパールから食の活動をしていくことに決めました。

2019年6月Shine-Hoshimi-International スクールを設立し、現地の技術者の育成活動も行っております。

 

ネパールの学校や孤児院で必ず作るものが、「お味噌汁」です。

白味噌、赤味噌、昆布、鰹節。。日本の調味料をたくさんもっていきます。

ネパールでは十分に野菜を食べる習慣がないので、ビタミンやミネラルなどの微量栄養素を摂取する機会が少ないです。

なので、野菜や発酵食品、スパイスを組み合わせた健康食を食べる習慣をつけてもらい健康的に生きてほしいなと思います。

 

一番最初に、野菜のお味噌汁を食べてもらった時、日本のうま味を知らない子供たちは、微妙な顔をしたり、

鼻をつまんで野菜を食べていましたが、お腹をすかせているので、みんな何杯もおかわりしました。

何回も作るうちに味噌の味を変えたり、ブレンドしてみたり、スパイスを味噌に混ぜたりしながら、

みんなの好みに合うように作ってきました。

 

今となっては、うま味にも慣れてきて、「シスター!(姉さん)ミトチャ!(おいしい!)おかわりちょうだい」と

言ってくれるようになりました。まずはネパールから!そして世界へ。

元気に健康で生きる子供たちを増やせるよう栄養をチャージしていきたいと思います。

ネパールからの日本​。日本からみるネパール。

先進国と発展途上国、私のもとには、貧困で学校にいけない、食べ物を買うお金がないから少し支援してくれないかと多く問い合わせがあります。現地でも苦しむ現状を見ます。私だけの力じゃ足りない。多くの方にこの状況を伝えなければならない。その現状を変えようと思ったときに、「途上国が問題なのか、この現状を引き起こしているのは先進国ではないのかな」と思うことがあります。

たとえば先進国が経済の発展のために安さを追求しすぎて、労働力を安く抑えられる途上国の人を雇い、知識やスキルを与えるわけでもなく、その人の人生を考えるわけでもなく、まるで「もの」のように扱っていることも多い。それでは途上国の彼らも生活が厳しく成り立たないとわかっていながらも、安い賃金で労働を強いてしまう。私が活動している村の方々にインタビューをした。村のいいところはなんですか?! みな、「自然もいいが、家族、村の人が支え合うこの場所が大好きだと。村でずっと暮らしていきたいが、仕事がない、だから隣国に出稼ぎに行くが、危険な環境と低い賃金で、大変な状況になることもあるという。亡くなって帰ってくるケースも・・故郷で家族を守りながら生活していきたいが、それを実現できない現実がある」


変わらなければいけない世界は、途上国ではなくて、私たち先進国なのかもしれない。どれだけ先進国は途上国からの恩恵を得て、いまの豊かな生活ができているかを知るべきだと思います。いまの世界の問題に対して「無関心」である多くの方々がもっと発展途上国のことを考えるべきではないのでしょうか


これからは、途上国と先進国が別々で生き抜いていく時代ではないんです。今、ウイルスがだんだん進行してきて、発展途上国にお世話になっていた会社は、運営がストップしています。お互いにできるとからはじめ、支え合っていけるような世界を作っていけたらいいと思います。途上国からもらい過ぎている恩恵を、先進国である私たちが少しずつ返していくことで、少しずつ世界がいい方向に変わっていくと思うのです。

筋田雅則さんとの出会い

ネパールで活動する中で、出会った筋田さん。こんなところに日本人!に出演していたり、岐阜ネパール人会を立ち上げ、10年間ずっと村の方々へ支援活動を続けてきました。

​ネパールのカトマンズの首都、カトマンズに「銀杏旅館」を村の子供達と設立します。その旅館には、日本について学ぶことのできるシステムが備わっていたり、現地の方々が活躍できるためのコミュニティの場所です。筋田さんはネパールの方々のために生涯をそそいできましたが、昨年の4月にお亡くなりになりました。自分が病気でどんなに辛い時も、困っている人たちのために尽くす筋田さんの背中を見てきて、私自身、とても筋田さんを尊敬しておりました。

                    

 

筋田さんの言葉

「ネパールの村の方々に仕事がないから、仕事ができるような機会を作ってあげてくれ、

貧困のため学校にいけず困っている子供達もたくさんいるから、しっかリトお金が回る制度を作ってやってくれ」

私は、できる限り、筋田さんの意を受け継いでいきたいと思います。

ネパールの首都であるカトマンズから

車で約4時間離れたところにあるラムチェ村

 

私たちにとって当たり前の存在だった給食ですが、280名の子供たちが通う

ラムチェ小学校給食があるのは小学3年生まで(豆の炒め物だけ)

 

子供達のお昼ご飯は1食20円。お腹いっぱいになるはずのない内容でも、

あどけない笑顔で夢を持ち勉強に励む子供達に出会いました。

 

私は、まず給食でネパールの子供達の夢を応援することを決意しました。村には家畜の世話、農業、子守をする子供の姿が目立ちます。

まだ5,6歳の子供たちが山のふもとから水をくんだり、家畜の世話、農業が忙しく学校にいけない子供たちが多くいます。

 

子供たちが学校に行きたくてもその親たちは、なぜ学校に行く必要があるのかと学校に行かなくて良いと考える親が多くいます。

 

学校に行かない子供たちを減らすために、まず給食を提供し、心とからだが満たされた状態で勉強できる環境を作りたいです。

ラムチェファクトリーを作ろう!

寄付も、もちろん大切ですが、持続して村が発展していく仕組みを作っていくために

ねらい

・村の方々の就業の機会を作る

・利益は、貧困のため学校にいけない村の子供達へ

方法

・鳥や山羊を飼育

・オーガニックコーヒーやオーガニックスパイスを栽培

・女性たちへの裁縫スキルトレーニング →子供達や若者も参加する

→カトマンズや先進国で販売していく 利益をラムチェ村へ

このモデルを作ることで、危険な場所に出稼ぎに行く必要がなくなると思います。

これから、村の方々と頑張る様子をSNSやYoutube を通して発信していきたいと思います。

応援宜しくお願い致します!!

​坂本 星美

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アジアの最貧国に行く管理栄養士の卵として何とか支援してあげなきゃと思っていました。でも、反対に彼らからもらうものの方が大きかったのです。ありがとうネパール。

ネパールにいく前、言語の違う環境でのコミュニケーションに戸惑い、最初は苦しかったけれども、ネパールの村の人になり、言葉が通じなくても、目や表情でつながる心や、私たちが忘れがちである人間本来の心のつながりを学びました。顔を見るだけで自然と笑顔になってしまう。嬉しくて泣いてしまう経験を多くしました。日本で暮らしていて、人間関係や私生活の悩みで心のそこから笑うことができなかった私ですが、ネパールのあたたかい人の心に触れ、本来の心を教えてもらいました。

 

でも、ネパールで改善していかないといけない問題もあります。例えば、子供達が身分のせいで夢を叶えることができない、女性の身分が低く、子供なのに結婚させられてしまったり、教育を受ける機会がない。一番問題なのは、子供が学校に行くことに興味関心がない。そもそも親が子供に学校に行って欲しいと思っていない。親は、子供に家の仕事を手伝わせたらいいと思っているのです。親の育ち方が子供のロールモデルとなるので、情報格差となり、貧困の連鎖が起こっていく。。。このような生まれた環境で人生が決まってしまうのは残念なことです。なので、このような問題を解決できるような、お金を得るためのシステムや、親への教育プログラム、奨学金制度などを作っていきたいです。

彼らのためにたくさんのサポートが必要ですが、反対に彼らから学ぶこともたくさんあります。なので私たち、そしてネパールの方々の心をシェアしあい、互いに成長しあえる仕組みを作っていきたいです。

 

ネパールの村の子ども達にお味噌汁を作る!

ネパールで国境なき医師団として活動する楢戸健二郎医師と出会い、3年前の秋、大学を休学し村で2ヶ月間医療支援活動に励みました。

不安定な食環境に課題を持ち、アジアの最貧国ネパールから食の活動をしていくことに決めました。

2019年6月Shine-Hoshimi-International スクールを設立し、現地の技術者の育成活動も行っております。

 

ネパールの学校や孤児院で必ず作るものが、「お味噌汁」です。

白味噌、赤味噌、昆布、鰹節。。日本の調味料をたくさんもっていきます。

ネパールでは十分に野菜を食べる習慣がないので、ビタミンやミネラルなどの微量栄養素を摂取する機会が少ないです。

なので、野菜や発酵食品、スパイスを組み合わせた健康食を食べる習慣をつけてもらい健康的に生きてほしいなと思います。

 

一番最初に、野菜のお味噌汁を食べてもらった時、日本のうま味を知らない子供たちは、微妙な顔をしたり、

鼻をつまんで野菜を食べていましたが、お腹をすかせているので、みんな何杯もおかわりしました。

何回も作るうちに味噌の味を変えたり、ブレンドしてみたり、スパイスを味噌に混ぜたりしながら、

みんなの好みに合うように作ってきました。

 

今となっては、うま味にも慣れてきて、「シスター!(姉さん)ミトチャ!(おいしい!)おかわりちょうだい」と

言ってくれるようになりました。まずはネパールから!そして世界へ。

元気に健康で生きる子供たちを増やせるよう栄養をチャージしていきたいと思います。

ネパールからの日本​。日本からみるネパール。

先進国と発展途上国、私のもとには、貧困で学校にいけない、食べ物を買うお金がないから少し支援してくれないかと多く問い合わせがあります。現地でも苦しむ現状を見ます。私だけの力じゃ足りない。多くの方にこの状況を伝えなければならない。その現状を変えようと思ったときに、「途上国が問題なのか、この現状を引き起こしているのは先進国ではないのかな」と思うことがあります。

たとえば先進国が経済の発展のために安さを追求しすぎて、労働力を安く抑えられる途上国の人を雇い、知識やスキルを与えるわけでもなく、その人の人生を考えるわけでもなく、まるで「もの」のように扱っていることも多い。それでは途上国の彼らも生活が厳しく成り立たないとわかっていながらも、安い賃金で労働を強いてしまう。私が活動している村の方々にインタビューをした。村のいいところはなんですか?! みな、「自然もいいが、家族、村の人が支え合うこの場所が大好きだと。村でずっと暮らしていきたいが、仕事がない、だから隣国に出稼ぎに行くが、危険な環境と低い賃金で、大変な状況になることもあるという。亡くなって帰ってくるケースも・・故郷で家族を守りながら生活していきたいが、それを実現できない現実がある」


変わらなければいけない世界は、途上国ではなくて、私たち先進国なのかもしれない。どれだけ先進国は途上国からの恩恵を得て、いまの豊かな生活ができているかを知るべきだと思います。いまの世界の問題に対して「無関心」である多くの方々がもっと発展途上国のことを考えるべきではないのでしょうか


これからは、途上国と先進国が別々で生き抜いていく時代ではないんです。今、ウイルスがだんだん進行してきて、発展途上国にお世話になっていた会社は、運営がストップしています。お互いにできるとからはじめ、支え合っていけるような世界を作っていけたらいいと思います。途上国からもらい過ぎている恩恵を、先進国である私たちが少しずつ返していくことで、少しずつ世界がいい方向に変わっていくと思うのです。

筋田雅則さんとの出会い

ネパールで活動する中で、出会った筋田さん。こんなところに日本人!に出演していたり、岐阜ネパール人会を立ち上げ、10年間ずっと村の方々へ支援活動を続けてきました。

​ネパールのカトマンズの首都、カトマンズに「銀杏旅館」を村の子供達と設立します。その旅館には、日本について学ぶことのできるシステムが備わっていたり、現地の方々が活躍できるためのコミュニティの場所です。筋田さんはネパールの方々のために生涯をそそいできましたが、昨年の4月にお亡くなりになりました。自分が病気でどんなに辛い時も、困っている人たちのために尽くす筋田さんの背中を見てきて、私自身、とても筋田さんを尊敬しておりました。

                    

 

筋田さんの言葉

「ネパールの村の方々に仕事がないから、仕事ができるような機会を作ってあげてくれ、

貧困のため学校にいけず困っている子供達もたくさんいるから、しっかリトお金が回る制度を作ってやってくれ」

私は、できる限り、筋田さんの意を受け継いでいきたいと思います。

ネパールの首都であるカトマンズから

車で約4時間離れたところにあるラムチェ村

 

私たちにとって当たり前の存在だった給食ですが、280名の子供たちが通う

ラムチェ小学校給食があるのは小学3年生まで(豆の炒め物だけ)

 

子供達のお昼ご飯は1食20円。お腹いっぱいになるはずのない内容でも、

あどけない笑顔で夢を持ち勉強に励む子供達に出会いました。

 

私は、まず給食でネパールの子供達の夢を応援することを決意しました。村には家畜の世話、農業、子守をする子供の姿が目立ちます。

まだ5,6歳の子供たちが山のふもとから水をくんだり、家畜の世話、農業が忙しく学校にいけない子供たちが多くいます。

 

子供たちが学校に行きたくてもその親たちは、なぜ学校に行く必要があるのかと学校に行かなくて良いと考える親が多くいます。

 

学校に行かない子供たちを減らすために、まず給食を提供し、心とからだが満たされた状態で勉強できる環境を作りたいです。

ラムチェファクトリーを作ろう!

寄付も、もちろん大切ですが、持続して村が発展していく仕組みを作っていくために

ねらい

・村の方々の就業の機会を作る

・利益は、貧困のため学校にいけない村の子供達へ

方法

・鳥や山羊を飼育

・オーガニックコーヒーやオーガニックスパイスを栽培

・女性たちへの裁縫スキルトレーニング →子供達や若者も参加する

→カトマンズや先進国で販売していく 利益をラムチェ村へ

このモデルを作ることで、危険な場所に出稼ぎに行く必要がなくなると思います。

これから、村の方々と頑張る様子をSNSやYoutube を通して発信していきたいと思います。

応援宜しくお願い致します!!

​坂本 星美

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